2012-01-01から1年間の記事一覧

スケアクロウ('73) ジェリー・シャッツバーグ <逸脱し、無軌道に走った者たちのその後の人生>

1 “逸脱し、無軌道に走った者たちのその後の人生”のハードな現実を描き切った秀作 「スケアクロウ」 ―― 紛う方なく、完璧な映画だった。 この作品こそ、先述した「ごく一部の例外的な秀作」の中の究めつけの一作であった。 それは、ニューシネマの最高到達…

冒険者たち(’67)  ロベール・アンリコ <「男二人+女一人」という「友愛」のミニ共同体の蠱惑的な相貌性>

1 致命的な破綻の中から拾い上げた冒険行での匂い立つ青春の炸裂 冒険とは、恐怖指数(投資リスク)の高さを抱懐しつつ、特定的な目的の遂行の故に、非日常の状況の渦中に我が身を全人格的に投入すること。 これが、冒険に対する私の定義。 物語は、この冒…

4ヶ月、3週と2日('07)  クリスティアン・ムンジウ <限界状況からの危うい突破への身体化現象>

序 限りなく澱んだ空気の中で 人間の内面的振幅のその微妙な綾を直接的に映し出す手法として、ワンカット・ワンシーンという撮影技法は多分に有効であるであろう。 意図的に揺れ動くハンディカメラが女子大生の走る後ろ姿を捕捉することで、少なくとも、彼女…

小島の春('40)  豊田四郎 <情熱、慈悲の深さ、そして偽善 ―― 物語の心的風景として>

1 「過去の出来事の無慈悲な断罪」への倫理的視座 その① 私たちは今、本作を鑑賞するとき、様々に「問題性」を持つこの作品が、有効な化学療法剤としてのプロミンも開発されることなく、或いは、ハンセン病の感染力の弱さや、遺伝性と無縁な疾病であるとい…

サイコ('60)  アルフレッド・ヒッチコック <精神異常の闇の深奥に到達した一級の心理劇>

1 精神異常の闇の深奥に到達した一級の心理劇 「ただ一か所、シャワーを浴びていた女が突然惨殺されるというその唐突さだ。これだけで映画化に踏み切った。まったく強烈で、思いがけない、だしぬけの、すごいショックだったからね」(「ヒッチコック 映画術…

フォーン・ブース('02)  ジョエル・シュマッカー <匿名性社会、その闇のテロリズム>

1 パブリシストの受難 “オペレーター。番号案内につないで欲しい。番号案内を。長距離電話をかけるんだ。長距離電話さ。天国につないで欲しい。オペレーター、番号案内を頼むよ。イエス様につないでくれ。番号案内を頼むよ。友だちと話したいんだ” このよう…

真実の瞬間(とき/'91) アーウィン・ウィンクラー <自己像を稀薄化できなかった男が炸裂して>

1 自己像をを崩す者との戦いの中で 「真実の瞬間」は、私にとって無視できない映画だった。 この映画に対峙するときの私の心象は、自分の置かれた不快な状況とどこかで形而上学的に重なる部分があり、大袈裟に言えば、表現された映像の一つ一つの描写に立ち…

ベニスに死す('71) ルキノ・ヴィスコンティ <エロスとの睦みの内に老境を突き抜けて>

1 海からの風の冷たさに身を寄せるようにして 一艘(いっそう)の豪華客船が、朝焼けの美しい風景の中にゆっくりとした律動で、静寂な海洋の画面を支配するかのように、薄明の時間が作り出す柔和な色彩の内に、その堂々とした存在感を乗せていく。 マーラー…

バグダッド・カフェ('87)  パーシー・アドロン <「日常性」の変りにくさに馴染んできた者たちによる、「第二次オアシス革命」への過渡期の熱狂>

1 疲弊し切った二人の女の邂逅の象徴的構図 本作の作り手が、構図に拘る事実を印象付ける象徴的なシーンがあった。 ブレンダとジャスミンの、初対面のシーンである。 まるで商売っ気がなく、鈍重な夫を追い出し、ハンカチで涙を拭うブレンダと、反りが合わ…

俺たちに明日はない('67)  アーサー・ペン <「初頭効果」によるインパクトを提示した映像の挑発的突破力>

1 「ヘイズ・コード」というタブーに挑戦するかの如く 後に、「クレイマー、クレイマー」(1979年製作)を監督したことで世界的に知られるに至った、テキサス州出身のロバート・ベントンが、ニューヨーク生まれの脚本家であるデヴィッド・ニューマンと…

「強制的道徳力」から解放された「家族内扶助」の「物語」 ―- 情緒的紐帯を失った「家族」の現在

貧しくても子供を多く産むことの利益は、「養育費」というコストを上回る何か、即ち、単に「愛情」の対象を持つことの喜びのみではなく、その対象が貴重な「労働力」となり、加えて、自らの「老後の世話」を頼むに足る存在性として、その家族関係の内に、世…

未だ覚悟の足りないヒューマニストもどきの、驚くべき腰の引け方

この国の子供たちのアンケートを採っても、「何も欲しくない」という解答が第一になるという社会を、私たちは作り上げてしまった。 この社会を、私たちは二度と手放さないだろう。 私たちの自我に刷り込まれた快感は、加速していく方向にしか動かない。 加速…

「自我拡大衝動」という観念装置の危うさ

鳥は生を名づけない ただ動いているだけだ 鳥は死を名づけない ただ動かなくなるだけだ これは、谷川俊太郎の有名な詩の一節だ。 鳥や他の動物がただ動いているだけでないことは、「キツネさんキツネさん理論」(餌を求めて雛が親を恫喝)や、ザハヴィの「ハ…

「過剰なる情緒性」という近代家族の求心力

1 「子供」と「青春時代」の誕生 フィリップ・アリエスの「子供の誕生」などの著作に詳しいが、18世紀のブルジョア家庭から子供を愛育する風習が生れ、余剰農産物を獲得した余裕から、親にとって子供は情緒的満足の対象となっていく。 因みに、「エミール…

空気人形('09)  是枝裕和 <社会に適応する努力を繋ぐ人間の営為を愚弄する、センチメンタル且つ、傲岸不遜な映像構成の救いがたさ>

1 視線を同化した存在性のうちに、強い紐帯をも強化させた瞬間の炸裂 「恐怖突入」を回避して、最後はファンタジーに流れ込んだ、「誰も知らない」(2004年制作)の物語の制約を突き抜けて、本作は丸ごとファンタジー映画になってしまった。 正確に言え…

フィールド・オブ・ドリームス('89)  フィル・アルデン・ロビンソン <反論の余地のない狡猾さを、美辞麗句で糊塗してしまう始末の悪さ>

序 奇麗事で塗りたくられた気恥ずかしさ 少なくとも私にとって、ここまで奇麗事で塗りたくられた映画を見せつけられたら、あまりの気恥ずかしさで、「勝手にやってくれ」と言いたくなる種類の典型的な映画。 しかし、本作で扱われた歴史的事実についての誤っ…

白いリボン('09)  ミヒャエル・ハネケ<洗脳的に形成された自我の非抑制的な暴力的情動のチェーン現象を繋いでいく、歪んだ「負のスパイラル」>

1 「純真無垢」の記号が「抑圧」の記号に反転するとき 物語の梗概を、時系列に沿って書いておこう。 1913年の夏。 北ドイツの長閑な小村に、次々と起こる事件。 村で唯一のドクターの落馬事故が、何者かによって仕掛けられた、細くて強靭な針金網に引っ…

真夜中のカーボーイ('69) ジョン・シュレシンジャー  <舞い降りて、繋がって、看取った天使、そして看取られた孤独者>

序 カントリーボーイの善良感と、下肢に障害を持つ男の絶対孤独の哀しさ 原題は「Midnight Cowboy」。早川文庫で、原作もある。邦題名は、そのものずばりの「真夜中のカーボーイ(正確には、カウボーイ)」。 この映画をその昔、名作専門館で観たときの感動…

ミリオンダラー・ベイビー('04)  クリント・イーストウッド <孤独な魂と魂が、その奥深い辺りで求め合う自我の睦みの映画>

1 「想像力の戦争」を巡る知的過程を開く映像 様々な想像力を駆り立てる映画である。 説明的な映像になっていないからだ。 遠慮げなナレーションの挿入も、映像の均衡性を壊していない。 観る者に、本作の余情を決定付けた、ラストナレーションに違和感なく…

裸の島('60)  新藤兼人 <耕して天に至る>

1 必要な時間に必要な動きを、必要なエネルギーによって日常性を繋いで 乾いた土 限られた土地 映画「裸の島」で、冒頭に紹介されるこの短いフレーズの中に、既に映画のエッセンスが語られている。 映画の舞台は瀬戸内海に浮かぶ、僅か周囲四百メールの小島…

十三人の刺客('10) 三池崇史 <てんこ盛りのメッセージを詰め込んだ娯楽活劇の「乱心模様」>

1 「戦争」の決意→「戦争」の準備→「戦争」の突沸という、風景の変容の娯楽活劇 この映画は良くも悪くも、物語をコンパクトにまとめることを嫌い、エンターテイメントの要素をてんこ盛りにすることを大いに好む映画監督による、力感溢れる大型時代劇の復権…

ユリシーズの瞳('96) テオ・アンゲロプロス <帰還の苛酷なる艱難さ――人間の旅の、終わりなき物語>

1 マナキス兄弟の映像を求めて 「魂でさえも、自らを知るには、魂を覗き込む――プラトン」 画面の黒に、プラトンの言葉が刻まれて、映像は開かれた。 その画面が切れて、サイレントの映像が映し出された。 「ギリシャ 1905年。マナキス兄弟が最初に撮っ…

つぐない('07)  ジョー・ライト <「贖罪」の問題に自己完結点を設定することへの映像的提示>

1 「贖罪」という名の作り話が閉じたとき 「1930年代、戦火が忍び寄るイギリス。政府官僚の長女セシーリアは、兄妹のように育てられた使用人の息子、ロビーと思いを通わせ合うようになる。しかし、小説家を目指す多感な妹ブライオニーのついたうそが、…

バベル('06) アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ <「単純化」と「感覚的処理」の傾向を弥増す情報処理のアポリア>

1 独善的把握を梃子にして振りかぶった情感的視座 モロッコで始まり、東京の超高層で閉じる物語。 モロッコに旅行に来たアメリカ人夫婦は、関係の再構築のために旅に出て、そこで難に遭う。 東京の超高層に住む父と娘は、関係の折り合いが上手に付けられな…

マンデラの名もなき看守('07) ビレ・アウグスト <千切れかかっていた「善」が、確信犯の「善」のうちに収斂される物語>

1 千切れかかっていた「善」が、確信犯の「善」のうちに収斂される物語 権力を維持するために行使される、過剰な暴力を是とするシステムに馴染めない「善」と、その権力への自衛的暴力を行使することを指示する確信犯の「善」が物理的に最近接し、そこに心…

ぐるりのこと('08)  橋口亮輔 <決め台詞なき映像を支配したもの>

1 予約された「日常性」が裂けていくとき 1993年冬 「週3日?」 出版社の同僚を驚かせる場面によって開かれるヒューマンドラマの幕は、その同僚を驚かせた女の天真爛漫な高笑いを大写しにさせていく。 およそ不幸とは無縁な印象を与える本作のヒロイン…

かもめ食堂('05)  荻上直子 <「どうしてものときはどうしてもです」―― 括る女の泰然さ>

1 「距離の武術」としての「アイキ」の体現者 合気道―― 「理念的には力による争いや勝ち負けを否定し、合気道の技を通して敵との対立を解消し、自然宇宙との『和合』『万有愛護』を実現するような境地に至ることを理想としている。主流会派である合気会が試…

歩いても 歩いても(‘07)  是枝裕和 <『非在の存在性』の支配力、その『共存性濃度』の落差感>

序 リアリズムで抜けていく「人生 論」不在の状況の寒々しさ 近年、私が観た邦画の中では、最も上出来の映像だった。 映像全体から伝わってくる空気感と臭気は、私の体性感覚の内に微細な部分をも溶融して、老夫婦の加齢臭のみならず、阿修羅の異形(いぎょ…

しゃべれども しゃべれども('07)  平山秀幸 <「ラインの攻防」 ―― 或いは、「伏兵の一撃」>

1 絶対防衛圏 「噺家(はなしか)の名前を何人知っているだろう。テレビによく出ているので3、4人。そんなもんじゃないだろうか。東京で450人あまり、上方も合わせれば600人以上。それが現役の噺家の数だ。寄席は都内でたったの4軒(注1)。そう…

連作小説(3) 死の谷の畔にて

一 私はかつて一度、自死の恐怖の前に立ち竦んだ。 自死へのエネルギーをほんの少し残しながら、それを他の行為に転化することができたことで、何となく救われた。その恐怖はその後、私の脳裏にべったりと張り付いて決して離れることはなかった。 以来私は、…