認知症の破壊力を描き切った大傑作  映画「ファーザー 」('20)  ―― その卓出した構築力 

1 自我機能の維持が、今や、風前の灯と化していた 3人目のヘルパーを辞めさせた父・アンソニーの元にやって来た娘のアン。 ヘルパーが腕時計を盗んだと言い張るが、部屋を出てその腕時計をつけて戻って来る。 「もう面倒みられない。今のように毎日はね。…

裸足の季節('15)   デニズ・ガムゼ・エルギュヴェン

<保守的な村のルールの縛りを打ち破る女子たちの闘いと屈折の物語> 1 イスタンブールへの脱出を敢行する二人の少女 「まるで瞬きする間(ま)の出来事。すべてが、一瞬で、悪夢に変った」 物語は、5人姉妹の末っ子・ラーレのモノローグ(以下、モノロー…

残された機能を生かし、打って出た自立への旅 映画「37セカンズ」('19)の強さ

1 風呂場まで這っていき、服のまま浴槽に身を投げ入れる 「今日は、ワンピース着たい」 「1人で行くんでしょ?だったら、ダメ。最近変な人、多いんだから…やっぱり、ママも一緒に行く」 「1人で行かせてくれるって、約束したじゃん」 「ママも一緒に行っ…

エンタメ性を丸ごと捨てた、直球勝負の社会派の秀作 映画「17歳の瞳に映る世界」('20)  ―― その精緻な構成力

1 NYへの中絶の旅に打って出た二人の少女 高校の文化祭で、ギターの弾き語りの舞台に立つ17歳のオータム。 会場から、「メス犬!」とヤジが飛び、オータムの弾き語りが、一瞬、切れてしまうが、最後まで歌い切った。 オータムは、密かにクリニックでセ…

「罪なき傍観者」を断罪し、復讐劇が自己完結する 映画「プロミシング・ヤング・ウーマン」('20)の破壊力

1 覚悟を決め、レイプ事件の本丸に向かっていく 「毎週、クラブへ行って、毎週、立てないくらい酔っ払ったフリをする。そうすると、毎週、まんまと、あんたみたいな“いい奴”が私の様子を見に来る」 昼はコーヒーショップで働くキャシーは、夜になるとクラブ…

“憎しみに居場所なし” 異彩を放つ映画「ブラック・クランズマン」('18) ―― そのシャープな切れ味 スパイク・リー

1 潜入捜査官 公民権運動が終焉した後の1970年代、コロラド・スプリングスの警察に採用された初の黒人青年・ロンが、潜入捜査官として最初に与えられた仕事は、ブラック・パンサーの元最高幹部・カーマイケル(「クワメ・トゥーレ」というアフリカ名に…

茜色に焼かれる('21)   石井裕也

<負の記号を潰して生きんとする「舐められた女」と、その一人息子との愛と希望の物語> 1 「お金のことは、絶対気にしないで。それで、行けるところまで、行きなさい」 田中良子(りょうこ)の夫・陽一が、横断歩道を自転車で横断中に、赤信号を無視して暴…

全篇にわたって心理学の世界が広がっている 映画「空白」 ―― その半端なき映像強度

1 何もかも空転しているようだった 父と別れて再婚した母・翔子(しょうこ)に買ってもらった携帯を、父・添田充(そえだみつる/以下、充)に取り上げられ、窓外に投げ捨てられてしまった娘・花音(かのん)。 漁労を生業(なりわい)にする充は荒っぽい性…

街の上で('19)   今泉力哉

<恋の風景の縺れた糸の行方> 1 夜中まで恋バナを咲かせて、盛り上がる二人 物語の舞台は、【古着屋・古本屋・飲食店・商店街・映画&若者の恋模様】として、映画の中で記号化される下北沢。 二人の男女がいる。 主人公・荒川青(あお。以下、青)と恋人・…

パピチャ 未来へのランウェイ('19)   ムニア・メドゥール

<時代の逆流の渦中で、それでも止められない女たちの確かなランウェイ> 1 逆巻く時代が開いた冥闇なる風景のくすみ アルジェ 90年代 大学生のネジュマとワシラは、夜の寮を抜け出し、白タクを拾って街のクラブへと向かう。 車内で好きな音楽をかけ、着…

幸せなひとりぼっち(‘15)     ハンネス・ホルム

<グリーフは吐き出すことで癒される> 1 「死ぬのも簡単じゃない。居候まで増えた。こいつを何とかしたら、必ず、そっちへ行く」 「昨日、そっちへ行けなくて、すまなかった。周りが騒がしくてね。新入りが越してきたんだ。近頃の奴らには驚かされる。車で…

人生論的映画評論・続 MOTHER マザー('20)   大森立嗣

<「見捨てられ不安」を膨張させてきた感情の束が累加され、強迫観念と化していく> 1 「ばあちゃんダッシュ」をさせる機能不全家族 「周平、学校は?」 それに答えない息子の足の怪我を見て、傷を舐める母・三隅秋子(みすみ/以下、秋子)。 このオープニ…

息を呑む圧巻の心理的リアリズム 映画「瞳の奥の秘密」の凄み  フアン・ホセ・カンパネラ

1 「瞳は語りかける。瞳は雄弁だ」 【現在】 「1974年6月21日 モラレスとリリアナの最後の朝食。モラレスはこの朝を生涯忘れない。休暇の計画を立て、咳に効くレモンティーを飲んだ。角砂糖は、いつも通りひとつ半。以来、ベリージャムは食べてない…

天外者('20)   田中光敏

<「資産はなく、借金だけが残されていた」男の顕彰譚> 1 括り切った男が拓く〈未来〉だけが広がっている 「1850年 東の果てのこの島国では、長きにわたる鎖国が解け、新たな風が吹き出していた。そんな時代の転換期には、必ず英雄たちが現れる。私の…

父と娘がタイアップし、破天荒な局面を突破する 映画「カメラを止めるな!」 ('17)  上田慎一郎

1 約束されたように開かれた不気味な物語が、俯瞰ショットで閉じていく 東京から2時間以上も離れた、とある地方の廃墟。 この廃墟で、ゾンビドラマの撮影が行われていた。 顔面蒼白で、目を見開いたゾンビが、斧を持った若い女性に近づいて来る。 「お願い…

ペイン・アンド・グローリー('19)   ペドロ・アルモドバル

<冥闇なる物理的時間を穿ち、内的時間が動き出していく> 1 苦痛と恐怖の〈現在性〉に捕捉された男の時間の重さ プールに潜り、幼い頃の母との思い出を回想するスペインの映画監督・サルバドール。 プールから上がると、ホテルのラウンジで、旧友のスレマ…

「第六感」=「ヒューリスティック」が極限状態をブレークスルーする 映画「ハドソン川の奇跡」('16)  クリント・イーストウッド

1 事故のトラウマを抱えた男の中枢が、愈々、気色ばんでいく 「カクタス1549便 滑走路4 離陸を許可」 「カクタス1549 離陸する」 離陸直後の操縦席の交信。 「メーデー(事故だ)、カクタス1549、両エンジン、推力喪失」と機長。 「再点火、不…

依存症の地獄と、その再生を描き切った逸品 映画「凪待ち」の鋭利な切れ味 ('19) 白石和彌

1 陽光が削られた鉛色の空が、男の総体を覆い尽くしていた 川崎競輪場で大負けした挙句、印刷所を解雇され、宮城で再就職することになった男・木野本郁男(きのもといくお/以下、郁男)。 「約束できる?ギャンブル厳禁。一緒に向こうで暮らすんなら、お酒…

「母」との短い共存の時間を偲び、想いを込めて世界で舞う「娘」 映画「ミッドナイトスワン」('20)  内田英治

1 「私が怖い?私、気持ち悪い?あなたなんかに、一生分からない…なんで、私だけ…」 トランスジェンダーの凪沙(なぎさ)は、新宿のショーパブ「スイートピー」で、ショーガールとして働いている。 チュチュ(バレエ服)を纏(まと)い、4人組でバレエダン…

何ものにも代えがたい男の旅の収束点 映画「すばらしき世界」('20)の秀抜さ

1 「娑婆は我慢の連続ですよ。我慢の割に、大して面白ろうもなか。だけど、空が広いち言いますよ」 「平成16年収監されて、13年ぶりの社会だね。今後は、こういうところに二度と来ないように、頑張ってもらいたい。ところで、起こした事件については、…

ジョーカー('19)  トッド・フィリップス

<極限的な悲哀の様態が、階層社会のシビアなリアリティに弾かれていく> 1 「人生は悲劇だと思ってた。だが今、分かった。僕の人生は喜劇だ」 財政難に陥っているゴッサムシティ(架空の都市)。 母親ペニーの世話をしながら、荒んだ街の一角で暮らすアー…

「怒り」の閾値を超えていく少年の爆裂の行方 映画「怒り」の喚起力('16) 

1 三つのエリアで呼吸を繋ぐ人々 その1 八王子で起こった夫婦殺害事件(以降、「事件」)の現場には、「怒」という血文字が壁に残されていた。 事件から1年が経ち、逃走中の容疑者・山神一也(やまがみかずや)についての報道が、テレビの特番で取り上げ…

孤狼の血('18)  白石和彌

<「正義」とは、「公正」の観念をコアにした、「ルールに守られ、秩序を維持し得る状態」である> 1 「警察じゃけぇ。何をしてもええんじゃ」 昭和63年4月 「昭和49年、呉原(くれはら)市の暴力団・尾谷(おだに)組に対し、広島市内に拠点を置く五…

アンダードッグ('20)  武正晴

<「何者か」に化け切れなかった男の痛みだけが広がっていく> 1 布団の中で咽び泣く男の、形容しがたい悲哀が晒されて 徹底的に被弾し、タオルを投げられ、呆気なくTKO負けに屈するボクサー・末永晃(すえながあきら)。 裏寂れたジムに所属し、昼間は…

「パラスポーツが世界を変える」

【全ての医療従事者たちに深い感謝の念を抱きつつ、起筆します】 1 今、地球上で最も変革を起こす力のあるスポーツの祭典が始まる 「失ったものを数えるな。残された機能を最大限に生かそう」(It's ability, not disability, that counts) この言葉は、「…

長いお別れ('19)  中野量太

<「約束された喪失感」を突き抜く、メリーゴーランドと三角帽子> 1 「この頃ね、色んなことが、遠いんだよ」 2007年 秋 東(ひがし)家の4人家族。 中学校の国語教師から、後に校長を勤めた経歴を持つ父・昇平と、夫を献身的に支える母・曜子。 海洋…

精神障害者の社会復帰への艱難な旅  映画「閉鎖病棟 -それぞれの朝-」('19)

1 絶対ルールを自ら犯してしまった男 死刑執行の当日。 死刑囚梶木秀丸(以下、秀丸)の死刑は未遂に終わり、結果的に、脊髄損傷で外部の精神障害施設・六王子病院に送られた。 【刑の執行を行った時点で死刑は終わっているので、二回目の執行は行わないと…

瓦礫の山と化す地場で「家族写真」を撮り切った男の旅の重さ 映画「浅田家!」('20)  中野量太

1 笑いと家族愛に満ちた風景が偏流していく 三重県 津市 父・浅田章(あきら)の通夜に、次男・政志(まさし)が、消防士姿の父の遺影を持ってやって来た。 このオープニングシーンの後、長男・幸弘(ゆきひろ)のナレーションが挿入される。 「弟は、なり…

多様な関係性が思春期を育てる 映画「はちどり」('18) ―― その煌めく彩り キム・ボラ

1 凛として、一人で退院して家に帰る少女 1994年 韓国・ソウル 集合住宅に、両親、兄姉と5人家族で住む主人公ウニ。 両親は餅屋を営んでおり、忙しい時は家族総出で切り盛りしている。 中学2年生のウニは、学校生活に馴染まず、クラスでも孤立しがち…

叫びを捨てた事件記者と、事件の加害性で懊悩する仕立て職人が交叉し、化学反応を起こす 映画「罪の声」('20)   土井裕泰

1 深淵の中に消え去った事件を追う二人の男 この映画のフレームにあるのは、自らが関わった幼児の死に接して、メディアスクラム(集団的過熱取材)に嫌気が差し(注1)、「メディア・正義」を振り翳(かざ)す事件記者を辞めた男・阿久津(あくつ/大日新…