夕凪の街 桜の国(’07)  被曝で壊された〈生〉なるものを拾い集め、鮮度を得て繋いでいく

1 「生きとってくれて、ありがとな」 昭和三十三年 夏 大空建研という建築事務所に勤める平野皆実(みなみ/以下、皆実)。 復興が進む広島の街の一角にあるスラムで、母フジミと穏やかに暮らしている。 皆実には、疎開先の伯母の家に養子に入った弟の旭(…

いつか読書する日('05)   たった一度の本気の恋を成就させる思いの強さ

1 「私には大切な人がいます。でも私の気持ちは絶対に、知られてはならないのです」 「未来の私からの手紙 二中三年四組 大場美奈子 あなたは、十五歳だった時の事を覚えていますか?もうずいぶん昔の事だけど、あなたは、こう思っていました。私は、この町…

親愛なる同志たちへ('20)  他言無用の「赤い闇」が今、暴かれていく アンドレイ・コンチャロフスキー

1 「彼らは政府を恨んでる。何をするか分からない。全員逮捕して法廷で裁くべきです。扇動した者たちには厳罰を」 ソビエト連邦 ノボチェルカッスク 1962年6月1日 共産党市政委員会(生産担当)に所属するリューダは、上司のロギノフの家で朝を迎える…

硫黄島からの手紙('06)  「自決の思想」を否定する男の、途切れることのない闘争心がフル稼働する

1 「日本で一日でも長く安泰に暮らせるなら、我々がこの島を守る一日には、意味があるんです!」 硫黄島 2005 この日、調査隊が入り、地下壕に埋められた重大な資料を発見する。 硫黄島 1944 「花子、俺たちは掘っている。一日中、ひたすら掘り続け…

「泣く子はいねぇが」('20)  佐藤快磨  破綻から再生までの途方もない旅路

1 「止めて欲しいように見えた…あんなところで働かせるような奴に渡したくない」 娘が産まれたばかりの若い夫婦、たすく(・・・)とこ(・)と(・)ね(・)の会話。 「ちゃんとしようよ。このままじゃ、無理だと思う」 「何が?」 「なーんも、考えていないっしょ…

ブータン 山の教室('19)  パオ・チョニン・ドルジ  村民への優しい眼差しをリザーブした青年教師の精神浄化の物語

1 “先生には敬意を払いなさい。未来に触れることのできる人だ” ブータンの首都ティンプーで教師をしているウゲン。 祖母と二人暮らしで、友人たちと都会の生活を満喫するウゲンの夢は、教師を辞め、オーストラリアで歌手になること。 常にヘッドフォンで音…

ウインド・リバー('17)   テイラー・シェリダン

<極寒の地での映像の卓抜さ/インディアン保留地の凄惨さ> 1 「俺も自分がイヤだ。だけど、怒りが込みあげて、世界が敵に見える。この感情が分かるか?」 【事実に基づく】 野生生物局のハンターのコリー・ランバート(以下、コリー)は、ワイオミング州…

ダラス・バイヤーズクラブ('13)   ジャン=マルク・ヴァレ

<理不尽な差別を受けている「弱者」を救う男のカウボーイ魂> 1 「もう少し、時間がほしい。心の準備をさせてくれないか。まだ死ぬことに向き合えないんだよ…」 ロデオのカウボーイであり、電気技師のロン・ウッドルーフ(以下、ロン)は、ロデオ仲間で賭…

虐殺の大地を走り抜き、鮮烈な時間を拓いていく 映画「ルワンダの涙」('05)の壮絶さ

1 虐殺の大地の一角で木霊する神父の炸裂 【これはこの地で起きた実話である】 「ルワンダ 1994年。フツ族の政府は30年来、少数民族のツチ族を迫害していた。西欧の圧力で、大統領は渋々、ツチ族との政権分担に同意。国連は平和監視の目的で、首都キ…

名もなき歌('19) 

1 海外に売られた赤ちゃんを想い、海に向かって静かに歌い出す 1988年 ペルー 実話に基づく物語 ハイパーインフレとテロが蔓延(はびこ)る政情不安な時代に、アンデス山脈の山間部に住むアヤクチョ先住民族のヘオルヒナは、肉体労働をする夫のレオと共…

米騒動とは何だったのか 映画「大コメ騒動」('21)に寄せて

1 「越中女一揆」の風景の一端 「大正七年、あらゆる権利を男が握っていた頃、富山県の漁村では、働く女房、“おかか“たちに生活の全てが委ねられていました」(ナレーション) 女子校を中退し、17歳で漁師・利夫の元に嫁いで来たイト(いとを便宜的にイト…

「その日」限定の時間を大切に生きる純愛譚の威力 映画「静かな雨」('19)

1 純愛譚の初発点 古い一軒家で、一人暮らしをする行助(ゆきすけ)は、不自由な左足を引き摺りながら、自炊し、バスで勤務先の大学の研究室へ通う。 行助の楽しみは、露天の骨董品屋で見つけた気に入った物を買い、たい焼き屋の香ばしいたい焼きを食べるこ…

後追い死に最近接する青春を掬い切った燃える赤  映画「走れ、絶望に追いつかれない速さで」('15)

1 赤く染まる大海原と、地平線を昇って輝く朝日 断崖絶壁の先端に立ち、タバコを吸い、真下の海を見て、後ずさりする男の後姿。 「さらば!薫君♡」と書かれた寄せ書きが張られ、就職先の大阪へ旅立つ葛西薫(かさいかおる)の送別の飲み会に集う学生たちの…

蒼然たる暮色に閉ざされながらも、〈今〉を生きる母と子の物語 映画「梅切らぬバカ」('21)  

1 「このまま、共倒れになっちゃうのかね…やっぱり、母ちゃんと一緒の方がいいよね?」 庭で母・山田珠子(たまこ)に髪を切ってもらっている、息子の忠男(愛称・チュウさん)。 ハサミを入れる度に怯(おび)えて反応する忠男だが、隣の家に荷物を運ぶ引…

アイヒマンの後継者 ミルグラム博士の恐るべき告発(‘15)     ハンネス・ホルム

<「権力関係」・「権威と服従の関係」が自我を支配するとき、その自我の自律性はシステムが作った物語の内に従属し、融合する> 1 「その頃、東欧では同胞がナチスの収容所で殺されていた。私が服従実験を行うのは、そのことが頭から離れないからです」 1…

最も苛酷な時代に真実の報道の姿勢を貫き、散っていった勇敢なジャーナリスト、その生きざま 映画「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」('19) 

1 憤怒を炸裂し、ウクライナで見た現実を突きつける男 1933年。 英国のロイド・ジョージ首相の外交顧問を務めるガレス・ジョーンズ(以下、ジョーンズ)は、ヒトラー専用機に乗り込み、本人にインタビューした際に鮮烈なインプレッションを受け、「次の…

3人の男のボクシング人生の振れ具合を描き切った傑作 映画「BLUE/ブルー」('21) 

1 腹を括っていた男の中で、何かが壊れていく 大牧ボクシングジムに所属する二人のボクサー。 一人は成果が出ずとも、ボクシングを愛する気持ちは変わらず、誰にでも優しく、面倒見が良い瓜田(うりた)。 もう一人は、才能があり、本気でチャンピオンを目…

護られなかった者たちへ('20)   瀬々敬久

<「歪んだ復讐劇」に「殺意の揺らぎ」を見せない者の意志の強靭さ> 【ほぼ映画の提示する時系列に沿って書いていきます。】 1 「俺もカンちゃんも、あんたに死なれたくないんだよ!生きてて欲しいんだよ!」 3.11から9年後、仙台市。 それは残忍さを…

海辺の一角で渾身の一撃を放つ男の、人生のやり直し 映画「アナザーラウンド」('20) 

1 ルールを決め、徹底的に飲み明かし、酔い潰れていく男たち 高校3年の歴史を担当する教師・マーティンが、教室に集まった保護者から大学進学への不安を訴えられる。 生徒たちからも、進学への関心の低さと授業内容の意味不明さを指摘された。 マーティン…

海街diary (‘15)     是枝裕和

<非在の者が推進力と化し、時間を奪回する旅が、今、ここから開かれていく> 1 「お母さんのこと、話していいんだよ。すずはここにいて、いいんだよ。ずっと」 「お父さんって、結構、幸せだったんだね。たくさんお別れに来てくれて」と三女・千佳(ちか)…

「連合赤軍事件」 ― その同志殺しの闇の深さ

1 「我々は『恐怖』に支配されていた」 国家権力と戦争する前に、権力打倒に糾合(きゅうごう)し、集合する居並ぶ同志と戦争してしまった。 かくて、国家権力の殲滅(せんめつ)を標榜(ひょうぼう)する戦争は、その戦力を手ずから破壊したにも拘らず、運…

尊厳死に向かって、「終活」という「生き方」を自己完結させていく 映画「しあわせな人生の選択」('15) 

1 「俺は1年間、考えてきたが、お前は今、考え始めた」 カナダから、スペイン・マドリードに住む親友の舞台俳優フリアンに会いに来たトマス。 フリアンのアパートを訪ね、再会を喜び合う。 末期癌を患うフリアンはトマスと共に、愛犬トルーマンの里親探し…

望み('20)   堤幸彦

<深刻な仮定への考察を奪い取った物語の「約束された収束点」> 1 団欒が崩されていく 12月17日(火) 埼玉県戸沢市。 建築デザインの仕事をしている石川一登(かずと)は、商談中の顧客を、事務所に隣接する自宅の見学に連れて行く。 出版社の校正の…

ナチュラルウーマン('17)    セバスティアン・レリオ

<身体疾駆するトランスジェンダーの尊厳を守る闘い> 1 裸の写真を撮られ、検査されるトランスジェンダーの歌手 トランスジェンダーのマリーナは、南米チリ、サンディエゴのナイトクラブの歌手として、毎晩、美しい歌声を披露している。 パートナーの実業…

プーチンの軍隊「ロシア連邦軍」の人権抑圧・腐敗の凄まじさ

1 「自国民を守る」という理由で小国に駐留し、侵略戦争を仕掛けるプーチンの戦略は一貫して変わらない プーチンの「当然の変化」に驚くロシア史の専門家が少なくないことに、正直、唖然とする。 この人たちは、一体、何を研究してきたのだろうか。 アンナ…

純愛の強靭さを決定づける抜きん出た強度 映画「少年の君」 デレク・ツァン

1 「俺には何もない。頭も、金も、未来さえないけど、好きな子がいる。幸せになってほしい」 2011年 中国 安橋(アンチャオ)市 “高考まで、あと60日”(高考=全国大学統一入試) 高校三年生のチェン・ニェンは、激しい受験競争の中、クラスメートの…

出会うことがない階層社会で呼吸を繋ぐ女性たちの、そのリアルな様態を描く 映画「あのこは貴族」('21)の訴求力の高さ

1 「田舎から出て来て、搾取されまくって。もう、私たちって、東京の養分だよね」 渋谷区松濤の高級住宅街に住む榛原華子(はいばらはなこ)は、現在27歳。 松濤(しょうとう)の開業医の一族の中で育ち、家族から結婚の催促を受けている。 正月元旦のホ…

自立する少女の身体疾駆が弾けていく 映画「いとみち」('21) ―― 心に残るエンタメの秀作 横浜聡子

1 「まいねじゃ」と吐露する少女の鬱屈が今、開放されていく 青森県北津軽郡板柳町に住む高校一年生の相馬いと(以下、便宜的に「イト」とカタカナ表記)は、同級生との会話も成立しないほど津軽弁の訛りが強く、極度の人見知りになっている。 父・耕一は大…

時代の風景 「プーチンとは何者か」

1 銃弾に斃れた気骨のジャーナリスト 「東京2020パラリンピック」に次いで、今回(北京冬季パラリンピック)もまた、国際パラリンピック委員会(IPC)のアンドリュー・パーソンズ会長は吠えた。(以下、敬称略) ―― 以下、パーソンズ会長のスピーチ…

認知症の破壊力を描き切った大傑作  映画「ファーザー 」('20)  ―― その卓出した構築力 

1 自我機能の維持が、今や、風前の灯と化していた 3人目のヘルパーを辞めさせた父・アンソニーの元にやって来た娘のアン。 ヘルパーが腕時計を盗んだと言い張るが、部屋を出てその腕時計をつけて戻って来る。 「もう面倒みられない。今のように毎日はね。…