2013-01-01から1年間の記事一覧

人は犯した罪をどこまで贖うことができるのか ―― 映画「つぐない」が問う根源的提示

イギリスのジョー・ライト監督の映画「つぐない」(207年製作)を観たとき、「贖罪のプロセス」の重さ=「赦し」の重さというテーマについて深く考えざるを得なかった。 以下、拙稿・「人生論的映画評論・つぐない」をベースに、このテーマについて考えて…

博士の異常な愛情('63) スタンリー・キューブリック <「風刺」、或いは、「薄気味悪さ」や「恐怖」という、ブラックコメディの均衡性>

1 「R作戦」、「皆殺し装置」の発動、そして「優生思想」の突沸 何とも緩やかななメロディに乗って、空中給油シーンから開かれた長閑(のどか)な映像は、一転してハードな場面にシフトする。 米国の戦略空軍基地司令官であるリッパー将軍が、突然発狂し、…

愛、アムール(‘12) ミヒャエル・ハネケ <「身体表現」と「視線」との化学反応の極点が、「安寧の境地への観念的跳躍」に変換していく究極の物語>

1 数多の映画監督を周回遅れにさせる現代最高峰の映像作家 犬童一心監督の「ジョゼと虎と魚たち」(2003年製作)のように、完治なき障害を負っている者の、その日常性の現実の様態を全く描くことなく、まるで、「障害者の雄々しき自立」に振れていくよ…

白いリボン('09)  ミヒャエル・ハネケ <洗脳的に形成された自我の非抑制的な暴力的情動のチェーン現象を繋いでいく、歪んだ「負のスパイラル」>

序 忘れ難き一級の名画と出会ったときの情感の残像が騒いで こんな映画を観たいと切望して止まない映画と出会ったときの興奮と感動が、鑑賞後、何日経っても自分の脳裡に焼き付いていて離れない。 ここで提示された問題の多くは、人間の本質に関わる厄介なも…

男と女('66) クロード・ルルーシュ <「叙情」と「緊張」という二つの「視聴覚の刺激効果」を挿入する〈愛〉の揺曳>

1 「叙情」と「緊張」という二つの「視聴覚の刺激効果」を挿入する〈愛〉の揺曳 クレイジーラブやミラクルラブが溢れ返る映画に馴致し過ぎてしまうと、何とも退屈な映画にしか見えないことを再認識させられる一篇。 しかし、このような私的事情を抱える男女…

ビルマの竪琴(‘56) 市川崑 <ラストシーンの反転的な映像提示 ―― イデオロギーに与しない相対思考の切れ味>

1 無残に朽ち果てた白骨の爛れ切った風景に呑み込まれて アジア・太平洋戦争末期のビルマ(現在のミャンマー)で、苛酷な行軍兵士たちの日本軍の小隊があった。 人格者然とした音楽学校出身の井上隊長の指揮下で、皆で合唱することで疲弊感を束の間忘れる方…

サイドカーに犬('07)  根岸吉太郎 <「距離」についての映像 ―― 或いは、成就した「役割設定映画」>

1 釣り堀で 不動産会社に勤務する近藤薫は、若いアベックに高層マンションの一室を案内するが、不調に終わり、バルコニーの窓を閉めたとき、ふぅっという溜息を洩らした。 このファーストシーンの何気ないカットの内に、30歳になって真面目に仕事する彼女…

太陽がいっぱい('60) ルネ・クレマン <「卑屈」という「負のエネルギー」を、マキシマムの状態までストックした自我の歪み>

1 「越えられない距離にある者」に対する、普通の人間のスタンスを越えたとき 「越えられない距離にある者」に対する、普通の人間のスタンスは二つしかない。 一つは、相手を自分と異質の存在であると考え、相対化し切ること。 例えば、「越えられない距離…

17歳のカルテ(‘99) ジェームズ・マンゴールド<「骨のない手」の浮遊感覚を自浄させる、「異界のゾーン」での「モラトリアム期間」の物語>

1 「骨のない手」の浮遊感覚を自浄させる、「異界のゾーン」での「モラトリアム期間」の物語 ―― その1 これは、良くも悪くも、「嘘だらけの外の世界」(世俗世界)の劣悪な環境に流され、浮遊していただけの思春期後期の時間の一部を切り取って、それを「…

「分りにくさ」と共存することの大切さ ―― 映画「バベル」が露わにする「芸術表現者」の短絡性の遣り切れなさ

1 「分りにくさ」と共存することの大切さ メキシコ出身のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の「バベル」(2006年製作)を観たとき、非常に遣り切れない思いに駆られた。 映画の中で強調される、独善的把握を梃子にして振りかぶった情感的視座…

ヴィヨンの妻 ~桜桃とタンポポ~('09) 根岸吉太郎<「あなた、人非人でもいいじゃないですか。私たちは生きていさえすればいいの」―― 覚悟を括った女の、男へのアウトリーチ

1 「欠損感覚」を埋める、包括的で献身的な「愛情補償」 男は常に欠損感を抱えている。 この欠損感の大きさによって、男は「肯定的自己像」を結べない人生を繋いで生きている。 その欠損感のルーツがどこにあるか、映像は一貫して説明しないが、大抵、この…

月世界旅行(‘02) ジョルジュ・メリエス <「夢を見る能力」が、「夢を具現する能力」に繋がった男の真骨頂>

1 激しい劣化から復元された「月世界旅行 カラー版」 「1902年。G・メリエス作の『月世界旅行』には、白黒とカラー版があり、世界中に広まった。1993年、紛失していたカラー版をスペインで発見。それは劣化が激しく、復元は困難を極めたが、現代の…

ヒューゴの不思議な発明(‘11) マーティン・スコセッシ <「映画好きの観客」限定の物語の訴求力の脆弱さ>

1 「世界が一つの大きな機械なら、僕は必要な人間だ」 「何にでも目的がある。機械でさえ。時計は時を知らせ、汽車は人を運ぶ。皆、果たすべき役割があるんだ。壊れた機械を見ると、悲しくなる。役目を果たせない。人も同じだ。目的を失うと、人は壊れてし…

アーティスト(‘11) ミシェル・アザナヴィシウス <男の「プライドライン」の戦略的後退を決定づけた、女の援助行為の思いの強さ>

1 今、まさに、防ぎようがない亀裂が入った「プライドライン」の防衛的武装の城砦 特定のフィールドで功なり名遂げた者が、そのフィールドで手に入れた肯定的自己像を放棄することが困難であるのは、その者が拠って立っていたフィールドの総体を否定するこ…

世界最古の洞窟壁画 3D 忘れられた夢の記憶(‘10)  ヴェルナー・ヘルツォーク <「全身最適戦略者」のクロマニヨン人の圧倒的な強かさに思いを馳せて>

1 宗教的儀式の色彩を纏った風景が包摂する、洞窟壁画というアートの世界で滾った、時空を越えた文化のリレー 「これらの絵こそ、長い間、忘れられた夢の記憶だ。この鼓動は彼らのか?我々のか?無限の時を経た彼らのビジョンが、我々に理解できるだろうか…

わが母の記(‘11)  原田眞人 <遺棄された、「不完全なるソフトランディング」という括りの潔さ>

1 日本的な「アッパーミドル」に絞り込んだ、「古き良き日本の家族の原風景」を印象づける物語構成 ファーストカットで、いきなり驚かされた小津映画のオマージュ(「浮草」)や、明らかに、そこもまた小津映画の影響を感じさせる、あまりに流暢で、澱みの…

園子温 <行間を埋め潰していく情動過多な構図の連射の騒ぎようと、削り取られてしまったリアリズム>

1 行間を埋め潰していく情動過多な構図の連射の騒ぎようと、削り取られてしまったリアリズム 「そこから逃避困難な厳しくも、辛い現実」 これが、「綺麗事」の反意語に関わる私の定義。 この作り手の映画を貫流していると思われる、物語の基本姿勢である。 …

ベニーズ・ビデオ(‘92) ミヒャエル・ハネケ <「両親が何者であり、父が何をするか」を知っている少年の有罪意識の在りよう>

1 完成形の作品が居並ぶ稀有な映画監督の、優れて構築力の高い映像の凄み ハネケ監督の映画を観た後、必ずと言っていいほど、私は次の映画の批評に入る気分が失せてしまっている。 ハネケケ監督の作品で、映像総体の完成度のハードルが一気に高くなってしま…

ブラック・スワン('10) ダーレン・アロノフスキー <最高芸術の完成形が自死を予約させるアクチュアル・リアリティの凄み>

1 「過干渉」という名の「権力関係」の歪み かつて、バレエダンサーだった一人の女がいる。 ソリストになれず、群舞の一人でしかなかった件の女は、それに起因するストレスが昂じたためなのか、女好きの振付師(?)と肉体関係を持ち、妊娠してしまった。 …

英国王のスピーチ('10) トム・フーパー <「『リーダーの使命感』・『階級を超えた友情』・『善き家族』」という、「倫理的な質の高さ」を無前提に約束する物語の面白さ>

1 吃音症は言語障害である 本作から受けるメッセージを誤読する不安があるので、これだけは理解する必要がある。 それは、現在、多くの国において、吃音症が言語障害として認定されているという点である。 且つ、言語障害として認定されていながら、原因不…

櫻の園(‘90) 中原俊 <「年中行事」を「通過儀礼」に変換させた物語の眩い輝き>

1 「年中行事」を「通過儀礼」に変換させた物語の眩い輝き ―― その1 地方都市にある私立櫻華学園高校演劇部では、創立記念日にチェーホフの「櫻の園」を上演することが、桜咲く陽春の日の伝統的な「年中行事」となっていて、多くの不特定他者の観劇を吸収…

アギーレ/神の怒り(‘72) ヴェルナー・ヘルツォーク <「大狂気」に振れていく男の一種異様な酩酊状態の極限的な様態>

1 エルドラドへの艱難辛苦なアマゾン下りの探検譚 1560年末、ピサロ率いるスペイン遠征隊がペルー高地に到着後、消息を絶つ。 随行した宣教師カルバハルの日記が、僅かにこの記録を伝える。 これが、冒頭のキャプション。 ポポル・ヴーの荘厳なBGMの…

愛を読むひと('08) スティーヴン・ダルドリー <「あなたなら、どうされます?」 ―― 残響音のエネルギーを執拗に消しにくくさせた、観る者への根源的な問い>

1 「絶対経験」の圧倒的な把握力 「どんな経験でも、しないよりはした方が良い」と思われる経験を、私は「相対経験」と呼んでいる。 私たちが経験する多くの経験は、この「相対経験」である。 この「相対経験」は、心に幅を作るトレーニングでもある。 心の…

魚影の群れ(‘83) 相米慎二 <壮絶なる「全身プロフェッショナル」の俳優魂を炸裂させた完璧な結晶点>

1 壮絶なる「全身プロフェッショナル」の俳優魂を炸裂させた完璧な結晶点 微塵の妥協を許さないプロフェッショナルな映画作家の手による、「全身プロフェッショナル」の映画の凄みを改めて感じさせてくれる一級の名画である。 1か月のロケの中で、「演技指…

天然コケッコー('07) 山下敦弘 <「リアル」を仮構した「半身お伽話の映画」>

1 「思春期爆発」に流れない、「思春期氾濫」の「小さな騒ぎ」の物語 島根県の分校を舞台にした、天然キャラのヒロインの、純朴で心優しきキャラクターを、観る者に決定付けた重要なシーンがある。 天然キャラのヒロインの名は、右田そよ(以下、そよ)。 …

源氏物語('51)  吉村公三郎<母性的包容力の内に収斂されていく男の、女性遍歴の軟着点>

1 受難の文学としての「源氏物語」 ―― その解放の雄叫び 日本近代史の中で、「源氏物語」は受難の文学だった。 「庶民感覚から遊離した『有閑階級の文学』」という理由で、プロレタリア文学から批判の矛先を向けられ、「ごく普通の人生を生きる者としての人…

わが心のボルチモア(‘90) バリー・レヴィンソン <「映画の嘘」の飯事遊戯を拒絶した構築的映像の、息を呑む素晴らしさ>

1 ノスタルジー映画の欺瞞性を超える一級の名画 「古き良き時代のアメリカ」を描いただけの、フラットなノスタルジー映画に終わっていないところに、この映画の素晴らしさがある。 嘘臭い感動譚と予定調和の定番的な括りによって、鑑賞後の心地良さを存分に…

籠の中の乙女(‘09) ヨルゴス・ランティモス <「反教育」という「無能化戦略」の安定的な自己完結の困難さ>

1 塑性的に歪んだ権力関係の中で惹起する風景の変容① “海” は「革張りのアームチェア」、“高速道路”は「とても強い風」、“遠足”は「固い建築資材」、“カービン銃”は「きれいな白い鳥」。 これらの言葉が、カセットテープを介し、「今日、覚えるのは、次の単…

シンドラーのリスト('94) スティーブン・スピルバーグ <英雄、そして権力の闇>

1 歴史の重いテーマの映像化の中で不要な、「大感動」のカタルシス効果 ポーランドで軍用工場を経営していたオスカー・シンドラーは、ユダヤ人会計士の協力を得て、ゲットーのユダヤ人を工場労働者として集め、好業績を挙げた。 複数の愛人と関係し、放恣な…

陸軍(‘44) 木下惠介 <「嗚咽の連帯」によって物語の強度を決定づけた「基本・戦意高揚映画」>

1 精神主義一点論のシーンを切り取った出来の悪いプロパガンダ映画 これは、相当出来の悪いプロパガンダ映画に、木下惠介監督特有の暑苦しい「センチメンタル・ヒューマニズム」が強引に張り付くことで、「無限抱擁」の「慈母」の情愛のうちに収斂されてい…